
「誰もが自律的に安心して移動できる包摂社会」の実現に向け、歩行空間のバリア情報を全国に展開する国土交通省の取り組みが、また一歩大きく前進しました。2025年10月27日、東京都北区において「歩行空間ネットワークデータ整備実証」が開催されました。当日は北区役所の職員に加え、障害をお持ちの方や学生など、多様な市民ボランティアが参加し、実際のまちを歩きながらデータ整備のプロセスを検証しました。
この取り組みは、昨年度(2024年)に渋谷区で実施された「簡易版歩行空間ネットワークデータ整備実証」に続くものです。渋谷区での実証では、データ整備の効率化を目的とし、整備項目を特に重要なバリア情報である「幅員」「縦断勾配」「段差」の3点に絞り込む手法が検証されました。今回の北区での実証は、その成果を踏まえ、さらなる運用の課題抽出や改良点の整理を行うために実施されました。

国土交通省では、2014年(平成26年)からICT(情報通信技術)を活用した歩行者移動支援の普及促進に取り組んでいます。従来の地図ナビゲーションサービスでは「段差」や「勾配」といったバリア情報が不足しており、高齢者や車いす利用者、ベビーカー利用者などが安心して移動できる環境が十分とは言えませんでした。
このプロジェクトは、そうしたバリア情報を含む「歩行空間ネットワークデータ」を全国で整備し、オープンデータ化することで、民間事業者などが多様なバリアフリーナビゲーションサービスを開発できる環境を構築することを目的としています。さらに、近年では人だけでなく自動配送ロボットの公道走行も始まるなど、歩行空間のニーズは多様化しています。

これらのデータ整備・管理・更新を効率的に行うための中核として開発が進められているのが、「歩行空間ナビゲーションデータプラットフォーム(ほこナビDP)」です。このデータプラットフォームは、今回整備する「NWデータ」のほか、「バリアフリー施設等データ」や「3次元地図データ」も統合的に扱うことを目指しています。


実証当日は、まず午前に室内での説明と実習が行われました。株式会社パスコの高塚氏による進行のもと、参加者は4つのグループに分かれてプロジェクトの全体像やデータ構造(リンクとノード)について説明を受け、その後、データ整備の核となる2つのシステムについて実習が行われました。
一つは、PC上で基盤地図情報などから歩道の形状データ*(骨格)を自動生成するシステム、もう一つが、屋外でタブレット端末を用いてバリア情報を入力していく「歩行空間ネットワークデータ整備システム」です。参加者は各グループでタブレットを囲み、事務局担当者に質問しながら熱心に操作方法を確認していました。
※形状データとは、バリア情報を含まない歩道のネットワークデータ



今回の実証では、PCで自動生成された形状データ(歩道のネットワークデータ)が、あらかじめタブレット端末のシステムに登録されています。
現地調査では、参加者はこの地図上に表示された「リンク」(経路)を実際に歩き、バリア情報を確認します。主な作業は、リンクごとに「幅員」「縦断勾配」「段差」をコンベックス(メジャー)や傾斜計、またはスマートフォンの傾斜計アプリで計測することです。

(国土交通省「歩行空間ネットワークデータ整備仕様」から抜粋)

そして、その計測結果を「ランク区分」に当てはめます。例えば、「幅員2m以上(S)」「縦断勾配5%以下(A)」「段差2cm以下(A)」であれば、そのリンクのランクは「SAA」としてシステムに入力されます。
また、現地調査中に形状データの不備(例:途中で勾配が変わるのにリンクが分割されていない、現地にはある経路がシステム上にない)を発見した場合は、参加者自身がタブレット上で「リンク分割」や「リンク追加」などの形状修正も行います。



午後からは、各グループが担当エリアに移動し、屋外での実証がスタートしました。参加者たちは、タブレットの地図と実際の風景を見比べながら、計測機器を手に「ここの段差は2cm以下だからAランクですね」「この道幅は1m未満だからZだ」と確認し合い、システムにデータを入力していきます。

システム上の形状データが現状と異なる箇所や、データが不足している箇所については、参加者自らがタブレットを操作してリンクやノードの追加・修正を行う作業も行われました(上図)。

また、今回の整備実証には視覚障害者(弱視)の方も参加されていましたが、タブレットの画面を目視で確認し、ご自身でスムーズにシステムを操作しながら、他の参加者と協力してデータ整備作業を進められていたのが印象的でした。これは、障害の有無に関わらず、多様な市民が参加して都市のインフラデータ整備に貢献できる可能性を示しており、まさにプロジェクトが目指す「誰もが自律的に安心して移動できる包摂社会」の実現に向けた重要な一歩と言えるでしょう。

現地でのフィールドワークを終えて屋内に戻った参加者たちは、その熱が冷めやらぬうちに本実証に関するアンケートへの記入を行いました。集められた回答からは、実際に街を歩き、データを「自分たちの手で作る」という体験を通じた、具体的かつ建設的な意見が数多く寄せられました。
まず、今回の実証の大きな成果として挙げられるのが、システムの「操作性」に対する高い評価です。アンケートには「リンク・ノードの属性情報入力、図形の選択は直感的に操作ができる」、「地図の読み込みが早く、操作しやすかった」といった声が並びました。これは、専門的な知識を持たない市民ボランティアであっても、適切なツールとガイダンスがあれば、インフラデータの整備という高度なタスクを担えることを証明しています。
一方で、実空間ならではの「判断の難しさ」に直面したという貴重な意見も浮き彫りになりました。「歩車道境界の段差を0とするか数cmとするか迷った」、「路面の凹凸を段差とするか迷った」といった声や、それによる「調査者によるデータのバラつきが懸念される」という指摘は、現実のバリアフリー情報がいかに微細で、かつ多様な解釈を含んでいるかを示唆しています。これらは今後のマニュアル整備や、AIによる自動判定技術の向上において、極めて重要な「教師データ」のような役割を果たすはずです。
さらに、参加者の視点は単なるデータ入力作業にとどまらず、その先にある「データの活用」へと広がっていました。「水害時の避難経路の検討(上下方向、高低差のデータとの連携)」や、「マルチモーダルLLM等のAIと合わせた移動支援」への期待など、このデータが防災や最先端技術と結びつくことで、より強靭で便利な社会基盤になるという具体的なアイデアも寄せられています。
今回の北区での実証は、市民参加型によるデータ整備の実現可能性を示すと同時に、社会実装に向けた具体的な改善点を浮き彫りにしました。ツールとしての完成度を高めるだけでなく、データの精度と均質性を担保するための運用ルールの確立、そして多角的な活用を見据えた仕様の検討。今回得られた実務的なフィードバックは、今後「ほこナビDP」が信頼性の高い社会インフラとして全国展開していく上で、重要な指針となるでしょう。
