
2024年1月23日(木)、東洋大学 赤羽台キャンパス INIADホールにて、第2回歩行空間DX研究会シンポジウムが開催された。
本年は『持続可能な移動支援サービスの普及・展開に向けて』をテーマとして掲げ、昨年に引き続いて有識者、民間事業者、行政等の関係者を登壇者に迎え、各々の取り組み紹介やパネルディスカッションによる意見交換を実現した。
今年度のシンポジウムも2部構成となっており、第1部では歩行空間DX研究会の主旨解説およびワーキンググループの取り組み報告、第2部では行政やNPO法人、民間企業という多彩な方面からパネリストを迎え、聴講者から募集した質問を軸にパネルディスカッションを展開した。
開催にあたり、本研究会会長の国土交通省 政策統括官の小善真司氏が開会の辞を述べた。
国土交通省では「誰もが自律的かつ安全に移動できる包摂社会」の実現を目指し、歩行空間に関するオープンデータ化を推進すべく取り組みを進めてきている。小善氏は昨今の時代背景として、物流分野の人手不足や技術進展による自動配送ロボット等へのニーズの高まりについて指摘。本研究の活動によってデータ活用の拡大とモビリティへの連携が期待されるとし、
「本プロジェクトが全国各地に浸透し、持続可能なものとしていくために何をしていくべきか。それを、本シンポジウムを通して関係者の皆さまと議論していきたい」
と述べた。
オープン・プラットフォームの哲学

歩行空間DX研究会で顧問を務める東洋大学 情報連携学 学術実業連携機構の坂村健機構長が本研究会の主旨について解説を行った。坂村機構長はもともと2014年度から始まった国土交通省の「ICTを活用した歩行者移動支援の普及促進検討委員会」の委員長を務めていたが、その活動を通じて歩行空間DX研究会の顧問に就任したという経緯がある。
10年にわたり「高齢者や障がい者を含めた誰もが日本を自由に行き来できる社会」を目指して活動を行ってきたが、実現に際してはそれぞれ管轄の異なる道路をどのように情報収集・整備するか、そして何より恒久的な維持のための費用面が課題となり、「きわめて難しい部分があった」と語る。
しかし、そうした諸々の課題に対して、坂村機構長はオープン・プラットフォームの哲学の重要性を提唱。近年発達したクラウドソーシングによる集合知を活用し、政府・民間問わず多様な参加者による相互チェックやボトムアップ的な情報構築を行うことが可能になってきたという。
「最終的にわかってきたことは、やはり国だけがやればいいという考え方では解決できないということです」
と、情報を公開するオープンアプローチで行政効率化とサービス向上を両立させることが肝要であり、「公」の役割はボランティアの力を活かすための環境整備にあると指摘した。
歩行空間の移動円滑化データワーキンググループ

東洋大学情報連携学部情報連携学科教授 別所正博氏からは、歩行空間の移動円滑化データワーキンググループの紹介および取り組み報告が行われた。同ワーキンググループは歩行空間ネットワークデータやバリアフリーデータ等を効率的に整備するための仕様改定、また歩行空間ナビゲーション・データプラットフォーム(ほこナビDP)の機能について実証やヒアリングを踏まえながら検討を行っている。
歩行空間ネットワークデータとは、歩行空間の形状に合わせて配置したノード(点)とリンク(線)に対し、バリアフリー情報を付与したデータのことである。この歩行空間ネットワークデータを公開することで、段差や傾斜などのバリアを回避するための経路検索サービスや配送ロボットの走行ルート算出など、多様なサービスからの利活用を期待している。
この歩行空間ネットワークデータや施設データの整備・更新と利活用を一体的に行えるデジタル基盤がほこナビDPであり、現在ワーキンググループではプラットフォームの立ち上げに向けて精力的に検討が行われているという。
今年度の取り組みとして、別所教授からは簡易な計測によるデータ整備・更新を実現するのみならず、ロボット等への応用を視野に入れた「歩行空間ネットワークデータ整備仕様」の改定、また自治体・施設所有者等によってバラつきがあったバリアフリー施設情報について、全国共通の標準データフォーマットの作成を目指す「バリアフリー施設等データ整備仕様」について紹介が行われた。
歩行空間の3次元地図ワーキンググループ

日本大学理工学部 交通システム工学科教授 佐田達典氏は歩行空間の3次元地図ワーキンググループの取り組みについて報告を行った。同ワーキンググループは人やロボットが歩行空間を円滑に移動するための3次元地図のあり方、整備や更新などに関して検討を行っている。
近年、レーザースキャナなどにより取得した3次元点群データを活用する技術が急速に発展しており、車載型MMS(モービルマッピングシステム)やバックパック型レーザースキャナ、スマートフォン搭載のLiDARなど多彩なセンサー類が普及。処理技術の進展もあり、取得した膨大な点群データから歩行空間におけるバリア(段差・幅員・勾配)を抽出することも可能になってきた。こうした技術は自動配送ロボットの走行にも活用されており、3次元点群データを用いて地図を作成し、走行時の自己位置を推定する「SLAM技術」は実用化段階へと至っている。
佐田氏はそれぞれ特色が異なる点群データの取得方法、またそれらをいかに統合処理するかについて技術面から解説を行い、種別の異なるセンサー同士の組み合わせによる特色・相性について興味深い結果が示された。
2023年12月にはJR川崎駅周辺において多様な3次元点群データを活用した走行実証を実施。5つの検証観点を設定することで、経路設定や自己位置推定に活用できる3次元点群データの要件整理に向けた検証を行った。さらに今年度はこの結果を踏まえ、自治体職員による3次元点群データの取得・加工・管理を行う3次元地図整備の実証実験を実施。当日参加した佐田氏は職員たちの楽しそうな様子が印象的だったと振り返り、「当事者の興味を引くような技術で計測する」ことの重要性について言及した。

第2部のパネルディスカッション「持続可能」な移動支援サービスの普及・展開に向けて」では坂村機構長がコーディネータを務め、闊達な議論が展開された。

第2部の冒頭では本プロジェクトのアンバサダーを務めるパラカヌー選手、瀬立モニカ氏からビデオメッセージが送られた。瀬立氏は障がい者にとっての物理的な困難が「社会的な壁だけではなく、心の壁を作ってしまうことにつながる」という見解を示しつつも、日本における科学技術の進歩により「私たちの障がいが障がいでなくなる未来が来るのではないか」という展望と期待感を示した。

また同じく本プロジェクトにてアンバサダーを務める車いすバスケ選手の網本麻里氏もフランスのフールからオンラインにて本シンポジウムに参加。網本氏は現在フランスのクラブチームに所属して活動しているが、日本との違いとして現地の空港や駅のエレベーターが大きく、車椅子ユーザーへの配慮が前提となっている点を指摘。しかし同時に海外において日本の技術力の高さを実感する局面も多く、「障がいを持つ人だけではなく、誰もが移動しやすい社会をみんなで作っていきたい」と、3年にわたり本プロジェクトに関わってきた自身の思いについて語った。
障がい者たちの「行きたい」を叶えるために

議論の導入として、登壇者が各々の取り組みについて紹介を行ったが、岩城一美氏が代表理事を務めるNPO法人仙台バリアフリーツアーセンターでは、障がい者・高齢者等のバリアフリー旅行相談を受け付けている。自身も日常的な車椅子ユーザーである岩城氏は
「私たちにとって旅行は楽しみであると同時に、プランや移動手段の選択が制約されがちで、日常生活よりも多くの労力が必要」
と述べ、障がい者たちの「行きたい」に寄り添い、「行けるところ」から「行きたいところ」にを支えることをモットーとする同団体の活動方針について語った。
岩城氏は移動時に車椅子ユーザーが直面するシチュエーションの一例として、駅におけるエレベーター利用時の写真を提示。エレベーターの位置がわかりづらい、人々がスマホを見ていて自分たちの存在に気付かない、次に乗車する列車の時間が決まっている車椅子ユーザーにとって、エレベーターに乗降できなければ想定していた移動行程を一から組み直すことになるなどの問題を指摘した。
岩城氏は本シンポジウムで紹介された技術によって事前にエレベーターの混み具合がわかればこうした事態も改善されると期待感を表明した。
また仙台駅ではこうしたユーザーの声に応え、車椅子対応座席や車椅子スペースを利用する際に相談や予約ができる「車いす窓口」がある。岩城氏は仙台観光国際協会と協力し、車椅子ユーザーがストレスなく旅行を楽しめるモデルコースを案内する「仙台 – 松島 Smooth Trip」を制作。こちらは仙台観光情報サイト「仙台旅日和」のウェブ上で閲覧できるとのこと。
川崎市のバリアフリー基本構想

植野弘実氏は川崎市のまちづくり局で「福祉のまちづくり条例」に基づく建築計画の事前協議、バリアフリー基本構想の改定やバリアフリーマップの更新などを主な業務として行っている。
川崎市は首都圏の中央部に位置し、JR・私鉄計11路線55駅が位置しており、東側には羽田空港が隣接。さらに2022年には多摩川スカイブリッジも開通し、交通アクセスにおいて恵まれた立地となっている。また川崎市はそれぞれ特色のある7つの行政区で構成され、特に近年では若い世代が集まる地域として注目を集めている。
川崎市は「誰もが訪れやすく暮らしやすいユニバーサルデザインのまちにする」を目標に街づくりを推進し、市内主要18駅周辺で8地区のバリアフリー基本構想を策定。バリアフリーマップの整備やユニバーサルデザインタクシーの普及や鉄道駅ホームドアの整備などの施策に精力的に取り組んでいるとのこと。
市のバリアフリーマップは市内の高齢者や障がい者など不特定多数の人の利用ニーズが高い施設等の情報を掲載。これらの施設情報および経路情報は国土交通省の歩行空間ネットワークデータ整備仕様に対応し、オープンデータとして国交省および市のウェブサイトにて公開されている。
「誰もが移動をあきらめない世界」を目指して

全日本空輸株式会社(ANA)の大澤信陽氏は、同社の経営戦略室においてUniversal MaaS プロジェクトを推進している。Universal MaaSプロジェクトは2018年にANAグループ社員による自発的な提案により発足したもので、2019年より産学官の本格的な実証実験を開始。2025年1月現在でパートナーも55団体へと拡大し、その取り組みは5年連続で国土交通省の「日本版MaaS推進・支援事業」に採択されるなど、益々注目されている。
Universal MaaSとはユニバーサルデザインの発想でDoor to Doorの移動をひとつのサービスとして提供するもので、何らかの理由により移動にためらいのある「移動躊躇層」がストレスなく移動を楽しめることを目指すものだ。
Universal MaaSは現在「一括サポート手配」「ユニバーサル地図/ナビ」というふたつのサービスを主軸としている。「一括サポート手配」は交通移動や宿泊、観光サービスの利用において、これまで個別だった介助窓口手配を一元化し、当日の円滑な移動をサポートするサービス。「ユニバーサル地図/ナビ」はさまざまな空間情報を集約・統合して全国共通様式のバリアフリー情報を提供するものとなっている。
現在多くの地域で導入され、展開しつつあるUniversal MaaSだが、結びに大澤氏は
「まだまだ日本全国・世界に広げるには時間も人手も足りない。ぜひ皆さまにご協力いただきたい」
と聴衆に訴えかけた。
歩行領域の移動に革命を起こしたWHILL(ウィル)

池田朋宏氏が事業部長を務めるWHILL株式会社は、電動車椅子業界に革新を起こした近距離モビリティ「WHILL(ウィル)」の開発・販売を行う企業であり、2012年の創業以来、「すべての人の移動を楽しくスマートにする」を社是に、小回りや走破性が求められる歩行領域をサポートするモビリティ開発とサービス展開を一貫して行ってきた。
この歩行領域における移動困難者にはまったく歩けない人ばかりではなく、「500メートル以上自力で歩けない」人も含め、対象としていると池田氏は述べるが、この定義では世界の歩行困難者は2035年には2億人に達する見込みであるという。そして、そこにはさまざまな身体状況、住居環境、交通事情の人間が含まれることになり、各々の環境に応じたサービスを提供することが必要になるだろう。
ウィルはあくまで道路交通上では電動車椅子(歩行者)という位置付けであり、免許不要で歩道を走行できる気軽さが特徴だ。まさに誰もが手軽に乗れる新たなカテゴリのパーソナルモビリティの誕生であるが、同社は日本中、世界中どこでも出先で手軽にウィルを利用できるインフラを同時に整備し、普及を促進させてきた。こうしたウィルを一時利用できる施設は日本全国で拡大の一途をたどっており、まさに日本における近距離移動事情は大きく変わりつつあるというのが現状だ。
パネリストの紹介を終えると、国土交通省 総合政策局の松田和香氏が席に加わり、坂村機構長をコーディネータとして議論が展開された。
会場からの質問に答えるかたちで「私たちは移動する前にたくさんのSNSを活用し、多くの労力を使います。まず皆さんが朝着替えて起きるまでに3分かけるとしたら、私たちはそこで10分以上の時間をかけています」と障がいを持つ自身の日常を語った岩城氏だが、彼女が「Smooth Trip」を紹介した背景には「バリアフリーマップがひとつもない」という宮城の現状があり、川崎市の先進的な取り組みに注目していたという。
植野氏は岩城氏の賞賛に謝意を示しつつも、紹介したバリアフリーマップはまだまだ使いやすさなどの面で課題を抱えており、特に情報更新が行政の限られた予算や人員では難しいという現状について説明。
「他の行政庁さんがなかなか踏み切れない、紙ベースのものはあってもデータとして整備できないというのはそういう事情もあるのではないかと思います」
と述べた。

また国交省の松田氏に対して、会場から「歩道のデータに関して、そもそも工事申請時のデジタルデータから路面情報を取得することが可能なのではないか」という質問が寄せられた。松田氏は、歩行者が歩くような駅から数km圏内の路線において国道の占める割合はわずかであり、ほとんどを市道、県道が占めているという状況を挙げ、管理者がそれぞれ異なっている現状について言及。
「本当はそういう部分で一体となってデータをオープンにできれば、データ整備・更新の手間は格段に省けると思います。そういう意味でオープンの思想をもっと多くの人と共有できればいいし、道路管理者にも働きかけていきたい」
と述べた。坂村機構長も自身が会長を務めるODPT(公共交通オープンデータ協議会)の活動の経験から「日本でDXを進める上で一番の障害となっているのは縦割りの構造」であると指摘。ODPTにおいては官民問わず多くの交通事業者が静的・動的データを提供しており、ANAも航空情報のデータを提供していたが、大澤氏は
「今私はオープンデータを『使う側』の立場にもなりましたが、大変だったのは地域ごとのデータフォーマットが異なっている点です」
と述べ、課題解決のためのツール開発に至った経緯を説明した。

「連携」というキーワードで坂村機構長が「どのような連携が実現することが望ましいか」と問いかけると、WHILLの池田氏は
「現在もWHILLは民間企業の施設であればホテルや遊園地などさまざまな場所に展開していますが、目的地側の施設に関しては美術館や博物館など、国や自治体が管理していることも多い。今後はそういった施設でWHILLが一時利用できる環境を整えていきたい」
と展望を語った。今回、池田氏には登壇者、聴講者両方から質問が多く寄せられていた印象だ。WHILLの提示する次世代型近距離モビリティ像に世間の期待と関心が集まっているという証左だろう。
この後も、介助者にも役立つデータの提供と整備、行政によるデータ整備のための立法について、障がい者支援のビジネス展開の可能性など、さまざまなトピックを元に議論が展開。データ整備に関して松田氏は
「私たちがデータ整備をしたいと思っても、それですぐに予算をつけてもらえるわけではない。本当に困っている人たちの声を届ける、そして世論が動く。政治が動く。そういった外側のプロセスが現実的には重要なのだと思います」
と語った。
議論の熱は冷めやらぬまま閉会となったが、会場からは今回のシンポジウムに関して「大変参考になった」「ぜひまた開催してほしい」「続けることの意義がよくわかった」など、肯定的な意見が多数寄せられた。
次年度も引き続き、歩行空間DXシンポジウムは開催予定である。今回の意見交換を元に、歩行空間ネットワークデータにさらなる飛躍と展開がもたらされることを期待したい。