取材記事

視覚障害者が一人で自由に外出を楽しめるように。歩行支援アプリ「Eye Navi」の取り組み

視覚障害者が一人で自由に外出を楽しめるように。歩行支援アプリ「Eye Navi」の取り組み

現在、日本では身体障害者手帳を所持している視覚障害者は約27万人いるとされている。 ひとりでの移動に不安を抱える視覚障害者の場合、外出の際にヘルパーによる同行援護サービスを利用することが多いという。

しかし、同行援護サービスは通勤、営業活動など経済活動にかかわる外出には利用できないほか、ヘルパーの絶対数が不足しているため、突発的な要件で手配が間に合わないケースもあり、なかなか「思い立って気軽に」というわけにはいかない。また、国内で活躍している盲導犬も年々頭数を減らしており、現在は800頭ほど で、利用を希望する視覚障害者をカバーしきれずにいる。そうした背景から、視覚障害者の社会活動は少なからず制限されているのが現状だ。

そんななか、「視覚障害者が一人で、どこにでも自由に、安全に行けるようにしたい」という願いのもと、株式会社コンピュータサイエンス研究所により開発されたiPhone用の視覚障害者向け歩行支援アプリ「Eye Navi(アイナビ)」が注目を集めている。GPSとAIの画像認識機能により経路案内や障害物検出などを行うアプリで、2023年4月にリリース開始。2024年11月時点でユーザーは18,000人を超え、障害者向けアプリとしては異例の数を記録しているという。

今回は、前職で地図会社大手のゼンリンに勤め、現在は株式会社コンピュータサイエンス研究所の代表取締役である林 秀美さんに、「Eye Navi」開発の背景や、そのサービスの先に描いている展望についてお聞きした。

「盲導犬の代わりになるロボット」というアイデアから出発した「Eye Navi」

――はじめに、「Eye Navi」開発の背景について教えてください。

林さん:まず、2015年に株式会社コンピュータサイエンス研究所を立ち上げた経緯からお話します。40年ほど前に、ゼンリンで紙地図のデジタル化の開発に取り組みました。その延長上でカーナビ向けの地図の開発も行いました。カーナビ向けの地図が完成した段階で、「車だけではなく歩行者向けに使えないか」と考え、株式会社ゼンリンデータコムを設立して、携帯電話を使った歩行者ナビのサービス事業を始めたんです。

一方で『スターウォーズ』に登場するR2-D2のように、生活をサポートするようなロボットが活躍する未来社会を思い描いていました。視覚障害者の方たちと交流する機会があったこと、また、ラブラドールレトリバーという盲導犬に使われる犬を飼っていて、盲導犬に対する関心が高かったこともあり、いつしか盲導犬の代わりができるロボットを作りたいなと考えるようになっていました。

実はゼンリン時代に2年ほど、盲導犬の代わりになるロボットの研究開発に取り組んだ時期もありました。しかし、私がゼンリンデータコムの事業に専念することになったため、プロジェクトは中断してしまいました。予算もかかるし、特に当時は今のようにAI技術も画像認識の技術も十分じゃないところがあったのでやむを得なかったとは思います。

そういった経緯があって、2015年に、ゼンリンの代表取締役副社長職、あるいはゼンリンデータコムの会長職を辞することになったとき、そうした「やり残し」に向き合ってみようと、新しく会社を立ち上げました。

――当初はロボットを作ろうとしていたんですね。そこから「Eye Navi」が誕生するまでにどのような顛末があったのでしょうか?

林さん:ロボットの開発に向けては、北九州市の福祉局からの呼びかけで視覚障害者の方たちにヒアリングさせていただく機会を持ちました。その中では「そんな夢みたいなことよりも、今すぐ使えるものを作ってほしい」という声も多かったです。

また、高齢者や視覚障害者でも使いやすい音声読み上げ機能を搭載した携帯電話を利用されていた方からは、「携帯電話にしゃべらせてなんとか移動をしているが、まだまだ不便な点が多いので、もっと便利なものがほしい」と。携帯電話のそういう使い方もあるのか、という事が記憶の中に残っていたんです。

会社設立後3年目に、盲導犬の代わりになるロボット開発にトライしました。北九州工業高等専門学校との共同開発で、人をロープで引っ張っていくイメージの小さなプロトタイプなどを作ったのですが、位置精度の問題などでなかなかうまくいきませんでした。道路交通法上、ロボットの自律走行は規制されていましたので、技術的にも制度的にも課題が山積していて、盲導犬の代わりができるロボットの実現はまだまだ先になりそうだなという感じでした。

ロボットのほかにも、スマートグラスなどのウェアラブル端末の利用も考えましたが、製品が非常に高価なものになってしまうという課題があり、なかなか理想的な形にはなりませんでした。そこで、まずは少しでも簡単に、誰でもすぐに使えるものがあるといいだろうと、iPhoneさえあれば利用できるアプリで歩行支援をしようと考えたのが「Eye Navi」の始まりになります。

「Eye Navi」画面イメージ

「障害物検出」「ナビゲーション」「歩行レコーダー」の機能を1つのアプリに集約

――あらためて「Eye Navi」の機能や特徴について教えてください。

林さん:「Eye Navi」は三つの主要な機能があります。まずは、AIの画像認識技術を活用した障害物の検出。自転車、車、点字ブロック、歩行者信号の赤・青など、歩行するのに必要な道路の状況や障害物について現在20項目が判別可能で、それらをiPhoneのカメラで捉えたとき、音声で瞬時に知らせます。

信号機や障害物等を認識するためのデータセットを、現在120万件以上整備しています。動画や画像データをもとに、いわゆるディープラーニングで判別の精度を上げていく作業を日々続けています。現状で公開しているのは20項目ですが、裏では約60項目のデータを蓄積しているので、その中から精度が上がったものを順次公開する予定です。

20項目の障害物・目標物や目標物を識別。

二つ目に、「Eye Navi」ではカーナビや歩行者ナビのようなナビゲーションが、障害物の検出と同時に使えます。視覚障害者の方たちは多くの場合、信号を前にしたら信号専用のアプリを立ち上げて、次はGoogleマップに切り替えて道案内をしてもらう、といったふうに、複数のアプリを使い分けていらっしゃる方も多いと聞きます。それらが1つのアプリでできるというところも大きな特徴ですね。

加えて三つ目に、事故が起きたときに備えて、自動車のドライブレコーダーのように歩行経路や状況を録画する歩行レコーダー機能も備えています。

歩行レコーダー機能イメージ

――つい先日、「Eye Navi」のプレミアムプランも発表されましたね。

林さん:無料で利用できる「Eye Navi」ですが、有料のプレミアムプラン(税込1,000円/月額)では、傷害保険が付帯されるほか、組み込んだオープンAIによってカメラで撮影した看板の文字を読み上げさせたり、家の電気がついているかを質問したりできるAIチャット機能が追加されます。また、家族や勤務先などに利用者の位置情報をリアルタイムで共有できる見守り機能もまもなく追加予定です。

自分だけのオリジナルの経路を設定できるマイルート機能も利用できます。「Eye Navi」ではカーナビで使われるような日本各地の地図データのほか、ゼンリンが整備した歩行者ネットワークデータをベースにしています。このデータには、全国126都市の市街地における情報が含まれ、また、ペデストリアンデッキ(歩行者専用の高架歩道)や公園の中の道路などの情報も含まれます。基本的にデータ上にある経路しか案内できませんが、そこに載っていない抜け道などもマイルートとして別途登録することが可能です。

「Eye Navi」を配信するにあたっては、最初から有料にすることも考えていました。しかし、一人でも多くの人に使ってもらえるものにしたいという想いが強く、また、利用者が増えれば広告モデルを入れるなど、いろいろな収益化が図れるようになるだろうということで、無償でのスタートになりました。現在は利用者が18,000人を超えたため、こうした有料のプレミアムプランでは、さらに使い勝手の良い機能を追加しました。

――保険と組み合わされているのは安心される方も多いと思います。

林さん:白杖を折ってしまったり、ぶつかった人の携帯を壊してしまったり、路上の看板を蹴飛ばしてしまったり、ということもあるみたいですね。また、健康や介護、法律など、生活の中で何か困ったことが起きたとき、電話でオペレーターに相談ができるサービスもついています。

「Eye Navi」の利用イメージ。カメラレンズが外を向くように、ポーチなどで首からiPhoneを下げて利用することを推奨している。

――実際にアプリを利用されているユーザーからの反応はいかがですか?

林さん:「Eye Navi」では、たとえば「3時の方向にセブンイレブンがあります」といったふうに周辺施設の情報を読み上げる機能もあります。その機能を試してくださったユーザーが、「スターバックスがあるって言ってくれたんです!」と。毎日歩いている道にスターバックスがあることを「Eye Navi」で初めて知ったそうで、すごく喜ばれたのが印象的でした。我々のような晴眼者にとっては当たり前のことですが、視覚障害者の方にとっては大きな発見。それだけ、日常で視覚障害者の方が得られる情報が少ないということなんですね。

AIチャット機能を使えば、「街路樹が黄色くなってますよ」とか、「空は青空ですよ」とか、情景も聞こえてくるでしょう。「情景が聞こえてくる」っていうのはすごくありがたいみたいですね。

災害時支援など、将来的にサポート範囲の拡大を目指す

――「Eye Navi」のサービス提供にあたって、一番の課題と感じられていることはなんですか?

林さん:現状では、「Eye Navi」を使っていただく方には、点字ブロックがある場所で利用されることを推奨しています。あるいは、「盲導犬と一緒に使ったら非常に効果的です」と言っています。なぜかというと、GPSの誤差、位置精度のブレがあるからです。ピンポイントで「ここを曲がれ」とは言えなくて、あくまで参考に使っていただく。そこにもどかしさを感じています。それらをどうしていくかが、これからの大きな課題です。

一部のiPhoneにはLiDARスキャナが搭載されていて距離が測れます。10メートル以下であればかなり精度が高いので「7.5メートル先を右です」と正確に案内できるようにトライしているところです。

――今後の展望について教えてください。

林さん:「Eye Navi」は現在、視覚障害者向けのサービスとして利用されていますが、ゆくゆくは高齢者や車椅子に乗られている方、いわゆる交通弱者となってしまう方たち向けのサービスに発展させていきたいと考えています。

たとえば、電動車椅子に組み込んで伊勢神宮周辺の案内の実証実験、久留米工業大学のプロジェクトに協力して、施設内のトイレへの移動や商店街の中で買い物ができる場所まで自動で案内など、すでにいくつか実証実験も実施しています。また災害時の避難誘導、救助活動にも利用できたらと考えています。見守り機能を利用すれば、高齢者の居場所の特定や、どこに今、どれくらいの人たちが残っているのかを把握することなども可能となります。

そしてやはり、この会社を作った一つの目標でもありますから、将来的には盲導犬の代わりができるロボットを作りたいです。今は法規制も緩和され、配送ロボットが街の中を自律走行できるようになっています。盲導犬の代わりができるロボットは視覚障害者の方たちがハンドルを持って利用します。自分でコントロールできる状態なので、配送ロボットの規制よりはハードルが低いでしょう。

親しみもあるので犬型で利用者と会話ができるものになればいいですね。排出や食事の問題で盲導犬を持つことを躊躇されている方も多いと聞いています。充電さえ欠かさなければいいわけですから、利用者も増えるでしょう。

社会的なサービスに対して、もっと国から支援を

――国土交通省が推進する歩行空間ナビ・プロジェクトに関してもお聞きできればと思います。本プロジェクトで扱うデータ(歩行空間ネットワークデータ・施設データ等)をオープンデータとして公開した場合、それらを「Eye Navi」で活用する可能性はありますか? また、具体的にどういったデータが公開されることを期待しますか?

林さん:まず、現在「Eye Navi」で使っているゼンリンの地図データには、国交省さんの歩行空間ネットワークデータで扱っているような道路の段差や勾配といった情報は一切入っていません。カメラで捉えた情報から、たとえば横断歩道があるのなら、そこにはおそらく段差があるだろうという判断を視覚障害者の方ご自身にしていただいているのが現状です。いろいろ試行はしているのですが、特に下りの段差はカメラの画像だけではなかなか判断できません。国交省のデータがあれば活用したいです。

また、たとえば目的地が市役所だとして、我々が持っている地図データを使うと市役所の建物までは案内できるのですが、じゃあどこから入るの? となると難しい。つまり、入り口のデータが入っていないんです。駅だったら改札までのデータがないとか。ですので、そうした建物の構造的なデータが公開されるとありがたいです。

――ありがとうございました。最後に、本プロジェクトや国に期待していることがあれば教えてください。

林さん:我々がやっているようなサービスは、ユーザー数がとても多いわけではありません。たとえいくらか使用料をいただいたとしても、なかなか利益にはつながらない。でも、誰かがやらなければならないことだと思っています。

空間データを整備するのもそうですが、「Eye Navi」を持続的に運営していくためには、さまざまな費用が必要になってきます。今はいくつかの企業・組織にご協賛いただいて、ギリギリでやっている状況です。国からは開発にはお金を出していただけるんですけど、こうした社会的なサービスを提供することに対しても、何らかのサポートをしていただけたら非常にありがたい。もっと頑張っていこうとモチベーションにもつながります。

Return TopPAGE TOP