フリーでオープンな地図データを草の根の力で作る世界的プロジェクト「オープンストリートマップ(OpenStreetMap)」。オープンライセンスの下で誰でも自由に地図を使えるOpenStreetMapは、「地図のWikipedia」「現代の伊能忠敬」とも呼ばれ、多くの「マッパー(地図を編集する人)」によって支えられている。
Steve Coast氏によるOpenStreetMapの設立は2004年に遡る 。当時のイギリスでは政府主管で税金を投入したプロジェクトとしてOrdnance Surveyが膨大なデータセットを作成していたものの、それを広範にフリーに広めるには至っていなかった。
オープンストリートマップ・ファウンデーション(OSMF)はフリーの地理空間データの発達と開発、配布、さらに誰でも利用・共有できる地理空間データの提供を促進することを趣旨として2006年に設立された組織である。一般社団法人オープンストリートマップ・ファウンデーション・ジャパン(OSMFJ)はOSMFの地域支部として、主に日本地域におけるコミュニティ活動の支援に取り組んでいる。
多様な企業がOSMデータに興味を持って活用し始める中、OSMFJが見据える課題や目標とは何か。OSMFJが歩行空間ナビ・プロジェクトの活動に寄せる期待とは。
歩行空間ナビ・プロジェクトが主眼に置く障碍者支援についての話も織り交ぜながら、同団体で副理事長を務める飯田哲氏にインタビューを行った。
究極の目的は「世界で最高の地図を作る」
――OpenStreetMapとOSMFJのご関係などについて教えてください。
飯田:OpenStreetMapとは全世界を対象とした自由な地図データの作成プロジェクトで、Wikipediaのように誰でも自由に地理空間情報の作成と配布を行うことができます。現在では日本において1日に120人程度の規模で編集が続けられており、月間で100以上の新規アカウントが登録されているという状態です。
一般社団法人としてのOSMFJが何をしているのかというと、ドメインやサーバーの管理など、何らかの手間と責任が発生するような業務や、今回のインタビューのような社外の方とのお話や契約、あとは商標のような権利関係の処理といった業務が主なものになります。OSMコミュニティでは日々活発に議論等が行われていますが、私たちはそれらの統括や方向づけといったことは行いません。あくまで事務作業やライセンスの調整、イベント開催といった業務を引き受けることでメンバーのやりたいことをサポートするといった役割を担っています。
また、先ほど申し上げたように「誰でも参加できる」というのがOSMの大きな特徴であるわけですが、私たちは最終的な目標として地球上にあるすべてのものをマッピングすることで「世界で最高の地図を作る」ということを掲げています。
――「OpenStreetMap」において、障碍者の方向けに行っている機能・サービスなどがありましたら教えてください。
飯田:障碍者支援についてですが、「世界のすべてをマッピングする」という私たちの活動の中に当然含まれるものだと言えます。ただし発想はどちらかといえば従来の障碍者支援とは逆かもしれません。
たとえば、視覚障害をお持ちの方が安全に横断歩道を渡るための音響式信号機を例に挙げると、私たちは「音が鳴る」ということを表現したいから、そのためのデータ構造を作るわけです。しかし、開発途上国など、現実的に世界の多くはそうなっていない。そもそも発想自体がないから、タグとして生まれないのです。だけど世界のどこかにはそういうサービスがすでにあるわけで、私たちが世界の解像度を上げていくことで認識され、それが結果として障碍者の方に役に立つということがあると思います。
たとえば、車道と歩道の間には段差があってそのままでは車椅子は通れないが、一部通れる箇所もありますよね。そういった乗り入れ部分をマッピングすることで、結果的に車が通れる場所も知ることができる。何かひとつの目的を志向するのではなく「そこにあるもの」を愚直にマッピングする、さまざまなものを分け隔てなく書き入れていくことで、結果的にさまざまな用途が生まれてくるということですね。
もちろん「今日は重点的に障碍者向けの施設をマッピングしてみよう」とか、そういう取り組みもありますが、特段意識しているわけではありません。たまに特定領域にフォーカスして城しかマッピングしないとか、ディズニーランドを専門にマッピングするという人もいますが、そういう人は世界を見渡しても少数です(笑)。
――OSMの具体的なデータや情報の収集方法・反映方法などについて教えてください。
飯田:収集・反映方法は大きく3つあります。ひとつめは航空写真で、使用可能な航空写真をトレースして、家屋や道路などさまざまな情報を書き入れていきます。
ふたつめはインポートと呼ばれているもので、国や自治体などさまざまな団体が公開しているオープンデータの中から私たちのライセンスと互換性があるものを取り込む方法です。インポートしたデータに関してはいろいろな活用法がありますが、市町村の境界のような目に見えない要素を書き入れる際に特に重宝します。
最後が現地調査で、これが一番辛くて一番楽しい(笑)。そこに行ってみて、何があるのかを書き入れていきます。たとえば家屋なら、航空写真でそこにあるということはわかるのですが、それが店舗なのか一軒家なのかアパートなのか、階層や形状がどうなっているのか、出口がどこにあるのか、などは実際に足を運んでみなければわかりませんよね。
主にこの3つの方法で収集していますが、編集に参加する方もさまざまで、先ほど例に挙げたお城好きのような方もいますし、以前NPOで目が不自由な方のサポートをしていて、OSMで視覚障碍者の役に立つような地図を編集したいという方、また、近年までバイク専門のナビゲーションはほとんどなかったので、自分でバイク用のナビを作りたいというバイク乗りの方もいらっしゃいました。
OSMは世界の多様なグラデーションを描出する
――どういうモチベーションで参加されているかは人それぞれということですね。では、「OpenStreetMap」の運用にあたって、現在課題と感じられていることを教えていただけますでしょうか。
飯田:世界には膨大な数の道路があるので、それをひとつひとつ地図に書いていくのはどうしても人手が必要で、人海戦術になります。そのための仲間づくりが課題といえるかもしれません。僕などはもちろんOSMが大好きでやっているわけですが、そういうモチベーションでやっている人間はそこまで多くありません。では、なぜみんな参加しているのかというと、楽しいからというのもありますが、自分の活動に役立つからやっているわけですね。ですから、OSMがいろいろな活動に使える、役立つものだという事実を周知していくことが次の課題だと考えています。
――具体的にどのような分野で役立っているのでしょうか?
飯田:ひとつが人道支援です。いまだに地図のない国は多いですが、そういった国で災害や紛争が起きた時、赤十字のような団体が救援に行くことがありますよね。しかし、たとえば現地で「3つ先の村」と言われてもどこだかわからない。災害時であれば余計に、です。しかし、みんなで地図を作ることで経路がきちんと表示される。そして、建物の大きさや人口比率などがわかれば必要な薬の量などもわかるでしょう。「OSMは使える」と人道支援の方にも思っていただいたようで、私たちもこの分野にリソースを費やして一緒に活動を続けています。
そして、私たちは同じスキームを他の分野にも導入できると考えています。たとえば自治体や地域のつながりは特に歩行弱者の方にとって大切なものだと思いますが、その地域に住んでいる人にとっては「通れる」ということが当たり前にわかっている場所であっても、その知識を他の人に共有すれば、そういう歩行弱者の方の役に立ちますよね。
また車椅子では通れないといっても、介護者がいればなんとか通れるなど、現実的には「行ける・行けない」の間に多様なグラデーションがあるわけです。だから、みんなが自分の知っていることをどんな小さなことでもいいから書き記していく。そうやって世界の解像度を上げていくことが、結果的にさまざまな人の助けになる可能性があるのです。
――先ほどタグという表現がありましたが、これは細かく属性を付与して書き込めるようなものですよね。このタグは増やしたりすることはできるのでしょうか。
飯田:大きくやり方はふたつあって、ひとつは自由に作りなさいというもの。自分でタグを作ってスキーマとして考えろというものですが、もうひとつはちゃんとドキュメンテーションしてみんなで決議をして決めなさいというものです。これらは一見対立しますが、どちらかが正しいというものではありません。自分だけで考えて突っ走っても他の人にはわからない。本当に有用かは書いてみないとわからないので、少なくともドキュメンテーションはちゃんとする必要がある。いわば車の両輪のような関係であり、どちらの方法も必要なのです。
――先ほどの視覚障碍者支援の件も、あくまで地図はインフラであって「特定の何か」のためのものではなく、いろいろなタグがある中の一部、という認識だということですね。
飯田:たとえば洪水があったから、その地域の支援のためにみんなで書こうという短期的なプロジェクトが立ち上げられたり、イギリスのOSMFでよくやっているクオータリー(四半期)・プロジェクトのようなもので「学校を中心に書こう」とか、特定のテーマにフォーカスしたりすることはあります。しかし、プロジェクト全体としては特にどこかの分野に偏っているということはないと思います。
一方で、これは何の役に立つんだろうというような、細かいタグに関して書き入れていくことで、思わぬ目的を見出す場合もあります。たとえば家屋の建材の情報に関しては延焼シミュレーションに使えるということでドイツのある研究者の方が研究されています。日本でも延焼シミュレーションはいろいろな研究所が行っていますが、使用しているデータは各々が独自に調べたものなんですね。しかし、OSMで建材のデータが公開されていけば、そういった研究所や、さまざまな方の役に立つでしょう。
官民連携が切り開く可能性
――歩行空間ナビ・プロジェクトで扱うデータ(歩行空間ネットワークデータ・施設データ等)がオープンデータとして公開された場合、何らかの形でOSMと連携できる可能性はありますか? また、可能性がある場合、どのような形での連携が考えられますか?
飯田:連携については、非常にありがたい申し出だと思っています。いくつか観点があると思うのですが、先ほどお話したインポートするという部分では、国交省で取り扱っているデータをそのままOSMに入れる。特にお手洗いのような施設情報は活用しやすいと思っています。あとはライセンスがうまくかみ合うかという部分もあるので、その点について話し合いで共通認識が持てるとデータ連携しやすいだろうと思います。
もうひとつの観点としては、点群データを活用する事業者に対する期待が高まっていますが、そういった点群データがどんどんオープンデータとして公開されれば面白い世界になるのではないかと思っています。
ある地域ではデジタルツイン実現プロジェクトの一環として点群データの取得・整備を進めようと、一般の方がiPhoneで撮影したLiDARの点群データをアップロードするという試みを行ったりしていますよね。そういったアーカイブが構築されることで、私たちもあらかじめ現地の詳細な状況を知ることができる。現地に赴いてSurvey(調査)する必要がなくなる場合もあるでしょう。
また、国との協業という意味合いでは、たとえばフランスのOSMFは公の方ととても距離が近いんですね。フランスの国土地理院や国鉄と一緒にプロジェクトを行うなど数々の先進的な取り組みを行っており、個人的にもとても学ぶことが多いです。
――政府と企業の連携が重要になるということですね。
飯田:技術的に専門的な領域は民間企業の力を借りることも必要で、点群のデータをバーチャル世界に持っていくことで、点群の世界の中に飛び込める。これで何ができるようになるかというと、たとえば車椅子の方が事前に練習できるんです。
車椅子の方は移動する際に、事前にGoogleストリートビューで通行可能な経路を調べ、ここまで来たら人を呼んでとか、綿密に予定を立てて出かけるんですね。それをあらかじめ点群の世界でシミュレーションできるというのは大変画期的なことです。もちろん点群データだけではダメで、ストリートビューのような映像も必要です。これが二つの車輪として公に提供されるようになれば、もちろんOSMにも大いに助けになりますが、誰にとっても役立つものになるでしょう。
障碍者支援の観点からはもちろん、誰にとっても「失敗できる環境」を整えてあげるというのは大事なことで、心理的な障壁を下げるという意味でも、私はゲームのようなバーチャル空間におけるトライは良い効果をもたらすと思っています。車椅子の方にとっては、あらかじめ練習できれば「ここは行けるが、ここは行けない」という判断を自分でできるようになる。それは、結果的にその人自身の意見・自主性を尊重することにもつながるのではないでしょうか。
――最後に「OpenStreetMap」を、将来どのようなサービスにしていきたいと考えられているか、お聞かせください。
飯田:先ほども申し上げたように、私たちの究極の目標は「世界で最高の地図を作る」ということです。欧米ではダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン(DE&I)※という概念がありますが、ひとりひとりが自分の知っていることを他の人に共有できれば、さまざまなサポートを実現するための多様なグラデーションが形成されるでしょう。なので、私たちは地図を通じて、ダイバーシティやインクルージョン、機会の重要性を提供していきたい。少なくとも、私たちはそのためのデータを提供できると考えているし、その可能性を感じて取り組みを進めていきたいと思っています。
――本日はお忙しい中、ありがとうございました。
※従来、企業が取り組んできた「ダイバーシティ&インクルージョン」に「公平/公正性(Equity)」という考えをプラスした概念。 多様な人が働く組織の中で、それぞれの人に合った対応をすることで、それぞれがいきいきと働き、成果を出し続けるための考え方とされている。