取材記事

完全なユニバーサルマップを目指して―坂道判定アプリ「なび坂」

完全なユニバーサルマップを目指して―坂道判定アプリ「なび坂」

総合リハビリテーションセンター内という立地環境を活かし、高齢者施設および障害者支援施設等の利用者や医療福祉職からのニーズをもとに、産学官との連携を図りながら研究に取り組む兵庫県立福祉のまちづくり研究所。
同研究所はユニバーサル社会の実現に向けて、小児筋電義手バンクや最先端歩行再建センターの運営、排泄動作支援機器(SATOILET)など、福祉器具の開発に取り組んできた。

今、同研究所が開発した車椅子ユーザーのためのアプリ「なび坂」が世間の耳目を集めている。
「なび坂」は兵庫県立福祉のまちづくり研究所が開発した、車椅子ユーザーのこぐ力に応じて、目的地までのルートが通行可能かどうかを判断するアプリケーションだ。

一口に車椅子ユーザーといっても、障害レベルはもちろん年齢や体調によってコンディションはさまざまだ。そこで兵庫県立福祉のまちづくり研究所は蓄積されたノウハウと知見を生かし、個々人の車椅子をこぐ力に応じて坂道の難易度を地図上に表示するという機能を「なび坂」に搭載した。

「なび坂」の現状と今後の課題、そして歩行空間ナビ・プロジェクトの活動に期待するものとは。兵庫県立福祉のまちづくり研究所の陳隆明所長さんと開発担当の中村俊哉さん、小坂菜生さんにお話をうかがった。

「なび坂」は臨床の現場から生まれた

兵庫県立福祉のまちづくり研究所 陳隆明所長

――「なび坂」の開発をはじめられたきっかけ、コンセプト、思いなどをお聞かせください。

陳:私はリハビリテーション科医であり整形外科医なのですが、これまで脊髄損傷をはじめとした障害者医療に35年以上携わってきました。その中で車椅子ユーザーを1万人以上診てきたわけですが、患者さんからバリアフリーマップがほとんど役に立たないという現状について話を聞いていたんです。何がそれを困難にしているのかというと、人によって車椅子をこぐ力は千差万別だということ。「車椅子ユーザー」と一括りにして扱ってしまうことに問題があるんです。
ある坂をAさんは問題なく登れるかもしれませんが、Bさんはそうではないかもしれない。車椅子ユーザーといっても、車椅子をこぐ力別に分けないと、本当のバリアフリーマップはできないのではないか。そのことに気付き、ユーザーのこぐ力と坂道の傾斜度のマッチングをすることで、その人にとって通りやすいルートかどうかを表示するアプリケーションを作れないかというコンセプトで開発を始めました。「なび坂」は私たちの日々の臨床の実体験、そして患者さんたちの声から生まれたわけです。
ですから基本的には車椅子ユーザーの利用を想定して制作したアプリですが、現在国の政策としても推進されているユニバーサルツーリズムの観点からも広く活用を期待できるのではないかと思っています。

――アプリの開発が本格化したのはコロナ禍からだというお話も伺いましたが、そういうことも契機になったのでしょうか。

陳:そうですね。コロナ禍で外出を控えた結果、高齢者の間で介護が必要になる一歩手前「フレイル」が進むのを見て、開発を進めたという面もあります。また、コロナ禍に限らずリハビリをしている間は元気でも、一旦自宅に戻って日常的にあまり活動をしなくなると、体力が衰えて以前通れた道が通れなくなったりします。つまり、車椅子ユーザーは自分のこぐ力をその時々のコンディションに応じてカスタマイズする必要があるわけですね。「なび坂」はそうしたユーザーの体調変化に応じたルート表示が可能になっています。

利用者の「こぐ力」によって坂道判定

(左)特別研究員 小坂菜生さん (右)技師 中村俊哉さん

――「なび坂」のサービス(システム)内容について教えてください。

小坂:内容に関しては、まだ試作版でありこれから機能が増えていくと思いますが、現行のシステムについて説明させていただきます。
「なび坂」はユーザー自身の障害レベルを設定することで、出発地から目的地までの経路上にある坂道に色付けがされ、自分が登れるかどうかを可視化して判断できるというシステムになっています。こちらはレベルの設定画面です。ここからC6,C7・・・といったレベルを選択することができます。

「なび坂」のレベル設定画面。C6,C7といった4段階の指標に分けられているが、損傷の程度に応じてより細かくレベルを設定することができる。

陳:このCという指標は皆さんあまり馴染みがないと思いますが医学用語で、頸髄損傷の程度をあらわす指標のことです。手の障害の程度に応じてレベル分けがされているんですね。たとえばC6レベルの損傷は肘を伸ばしたり、手を握ったりすることができません。C7は肘は伸ばせるが手は握れない。C8は肘を伸ばすことができ、手を握ることもできる。アスリートレベルというのは上半身はフリー、健常者にも劣らないレベルです。
そのように自分のレベルを設定することができるわけですが、たとえばC6に分類されるような方でも、一生懸命リハビリしてC7に近づいているというような方はバーを調整してC7寄りに設定することもできます。逆にC8の方でも最近活動していないので体力が衰えたという方は、C7寄りにレベルを微調整することができる。そのように障害レベルを自在にカスタマイズし、それに応じた表示を行うことができるわけです。

小坂:そのように自分のレベルを設定して、出発地と目的地を指定して経路を検索することで、最大3つのルートを画面に表示させることができます。「なび坂」はGoogleマップをベースに開発をしているため、Googleマップが表示される地域であれば、日本のみならず世界中で使うことができます。

経路表示画面。経路上にある坂が青(通行可能)、黄(通行困難)、赤(通行不可)の3段階で表示される。 

小坂:このようにマップ上にルートが3色で色分けされて表示されます。青は通行可能、黄色は通行できるが困難、赤は通行不可を意味しています。
さらに画面を拡大すると、その坂道が上り坂なのか下り坂なのか、どのくらい困難な坂なのかを表示することができます。ですので、たとえば上り坂は苦手であっても下り坂はテクニックで下りられるという方は、下り坂が赤の表示であっても具体的な数値を見て、自分で判断して下りるということもできるでしょう。これが「なび坂」の基本的な機能になります。

「なび坂」の課題とは

――「なび坂」の運用に必要な坂道の勾配データに関してはGoogleの公開データをベースにされているということですね。

陳:そうですね。GoogleマップAPIの中に標高データがあるので、それらを使って計算をしています。また、ユーザーの能力に応じて表示を変えるための閾値が必要になりますが、その閾値を持っているということがまさに本システムの要となります。それこそが私たちの強みと言えるかもしれません。

――「なび坂」の開発は2年ほど前から着手されたと伺っていますが、現行の最新版と開発当初のバージョンを比べて、何か大きく進化したものはありますか?

陳:試作品をユーザーさんに使っていただき、アドバイスを経て使い勝手が良いようにフォーマットを変えたというのは大きなポイントでしょうね。最新バージョンのアプリ画面では画面全体に大きく三角マークなどが表示され、手が不自由でスマホの2本指操作が困難な方でもタップ操作できるようになっています。

(左)旧バージョンの画面 (右)最新バージョンの画面 

陳:私たちが当たり前にできるような手の操作も、C6,C7の方々は手の麻痺などにより困難な場合もありますから。全ての操作をタップでできるように仕様を変更したというのは、以前のバージョンとの大きな違いだと思います。

――本システムを運用する上で、課題と感じられていることを教えてください。

陳:坂道に関していえば、段差や片流れ※1、そして幅といった情報が表示できないのは現状における課題だと捉えています。あるいは工事などで期間限定で通行できない箇所や、それによって変わった道路や施設の状況など。そういうリアルタイムの情報を更新して反映させていくことが必要だと思いますが、もしそれが可能になればほぼ完璧なユニバーサルマップができると思います。

「完全なユニバーサルマップ」を目指して

「なび坂」実証実験の様子

――歩行空間ネットワークデータには先ほどおっしゃられたような段差や幅員、勾配などの情報が含まれており、「なび坂」の運用に資する部分も大きいのではないかと思います。本プロジェクトで扱うデータ(歩行空間ネットワークデータ・施設データ等)がオープンデータとして公開された場合、そのデータを「なび坂」で活用できる可能性はありますか?

陳:可能性は非常にあると思います。エレベーターや歩道橋の情報など、そういったデータがオープンに公開されることによって「なび坂」のシステム面を大きく強化できる。それにより、「なび坂」のコンセプトはほぼ完成に近づくと言えるでしょう。

――特にどのようなデータが公開されることを期待しますか?また、他に本プロジェクトに期待されることがあればお聞かせください。

小坂:たとえば狭い道路であれば、人が少なければなんとか通れても、人通りが多いと車椅子では通行が難しくなります。「なび坂」の発表以来、そういった道路の幅、そして人流に関わるデータをどう反映させられるかというニーズを感じており、その点は公開を期待している部分ですね。

陳:「なび坂」を作った時に私たちが内々に何を話していたのかというと、このアプリを補強するデータが欲しいということでした。それがまさに今回の国交省さんのプロジェクトであり、そういう意味で非常に期待する部分は大きいです。

中村:所長と小坂が言った部分に集約されていると思いますが、やはり統一的にこういったデータの整備を推進するというのは国にしかできないことです。先ほどの段差情報や施設情報などのデータが随時アップされていくというのは、私たちに大きなメリットをもたらしてくれると考えています。

――ありがとうございます。やはり情報は更新していかなければ役に立ちませんので、常にアップデートしていくということがポイントになりそうですね。最後になりますが、「なび坂」に関して、将来、どのようなサービスにしていきたいと考えられていますか?

陳:今、民間企業と一緒に「なび坂」をどのように社会実装していくかという話を進めています。ひとつは、津波などの災害の際、スムーズに避難所へ誘導するための防災アプリとしての応用。もうひとつは冒頭に申し上げたユニバーサルツーリズムへの活用です。今後、こうした方面での利活用を視野に入れながら社会実装を進めていきたいと考えています。

――本日はお忙しい中、ありがとうございました。

※1 もともとは建築用語で、屋根の形状の一種。傾斜が一方だけに流れているものを指す。

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